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個展での"こぼれ話"その1

今回のアイアイエーでの展示では、ガラス窓の真ん中にポンペイ遺跡の縦位置写真を飾りました。撮影時の元データは実は横位置なのですが、縦のほうが抽象的な画面構成になることに気づき、左右をバッサリとトリミングした次第です。

ちなみに現地に行ったことのあるお客さんがいらして、「赤がもう少し濃くなかったですか?」と指摘なさいましたが、おっしゃる通りで、これは和紙プリントゆえ。アワガミの"いんべ"という紙は、やや色が褪せた感じに仕上がるのが魅力なんです。

個展での"こぼれ話"その2

この2枚はNYの墓地「First Calvary Cemetery」で撮ったストレートフォトで、モノクロのほうは8年前の個展で展示し、カラーが今回展示したカットです。

撮影はともに2016年ですが、実は2014年にもNY撮影に行っており、そのとき現地で見つけたマグナムの写真家トーマス・ヘプカー(Thomas Hoepker)の写真集がきっかけでした。

ヘプカー氏はマンハッタンを襲ったあの「9.11同時多発テロ」の惨劇を、ハドソン川を挟んだクィーンズ地区から撮っており、その微妙な距離感ゆえ、他のジャーナリストとは一線を画す、いわば多民族国家の"ねじれ"を含んだような光景を生み落としたことで知られます。

https://www.magnumphotos.com/photographer/thomas-hoepker/

そんなマグナム写真家がやはりクィーンズに位置する墓地で、ある日の夕景をとてもリリカルに撮っており、その情感あふれる眼差しが私を同じ墓地へと向かわせた次第です。

※ヘプカー氏は今年7月10日に88歳で亡くなったようです。合掌

個展での"こぼれ話"その3

ベトナムの首都ハノイに足しげく通っていた1990年代、仏領インドシナ時代の面影を遺す旧市街にお気に入りの宿がありました。

とある文献に「トンネルハウス」という語が使われたくらい間口が狭く、そのぶん奥に深く、薄明かりしか届かない、日本でいう"ウナギの寝床"然とした安宿。当然ながら壁は薄く、路地にこだまする物売りや従業員らの声、トイレの音まで筒抜けという生活感丸出しの面白みがありました。

そのホテルの1階、フロント前がカフェになっていて、早朝から初老の親父たちが集まっては新聞を読み、タバコをふかし、四方山話に興じていました。聞けば画家や大学教授などのリタイア組が多いという。

ちょいと調べてみたら、ベトナムに最初の美術大学が作られたのは1924年。ドイモイ(刷新)と呼ばれる経済政策が始まるまでの暗黒時代があまりに長かったせいか意外に感じられますが、フランスが残したものは粋な建物や制度だけでなく、教養人の層の厚さもまた仏領時代の遺産ということなのかもしれません。

画面左手に見える大きな鏡の中にガタイのいいお姉さんが映っていますが、同カフェのウェイトレスです。このショットのあと、私の後方から威圧感あふれる声でひと言。

「It's ok, sir?」

はい、はい、聴こえていますよ。

このアジアン・モンマルトルのようなサロン風の空間が好きだからこそ常宿にしていたわけで、とりわけ曇天ばかりのハノイに珍しく綺麗な斜光が差し込む貴重な瞬間だったのです。だから、お姉さんに「いい加減にしなさい」と言われるほど枚数を撮っていたのですね。

お気に入りだったこのサロン喫茶も撮影から数年後に消え、やがてはホテル自体、取り壊され、ドアマンのいるホテルに様変わりしたそうな。何事にも旬があり、栄枯盛衰ありの感慨深しです。

個展での"こぼれ話"その4(番外篇)

今回の私の個展で用いたタイトル『気配の蜜』は、実は私自身の発案ではありません。なので、今日はその裏話を。

ちょうど昨年の今頃、帝国ホテルで催された日本和紙写真協会の写真展を観に行き、和紙にプリントされた濃密かつ繊細な表現にびっくり!! それが同協会との出会いになり、お付き合いが始まりました。

当時、FBにこんな感想を書いています。
「私にとって今いちばんの関心事は、写真メディアのひとつである和紙という素材にどう取り組むか。様々な経緯からこの古くて新しい、深い魅力に満ちた課題へと至り、ここ数ヶ月"紙沼にはまってます"なんてコメントを何度か出してきました。
けれども、和紙の上で自分なりの見せたい色を出すためには、用紙ごとに独自のプロファイルを作成しなければならず、その時間やコストに鑑みると、まぁ、できることなら避けて通りたかったくらい難儀な道。
そんな実感を得ているなかで、先ごろ導かれるようにしてお邪魔した帝国ホテルでの『日本和紙写真協会』主催の展示。これがなんとも突き抜けた作品ばかりで、観覧後、人知れず落ち込んでしまったほど(この1週間、何も発信せず自分と向き合ってましたw)。
思えば昨今、写真をあくまでひとつの原資として捉え、「写真でない写真」へと領域拡大する、いわゆるアート指向の強くなってきた風潮が一部ありますが、そうしたキュレーター主導型の流れとはまた一線を画した、しかしアート指向の強い、絵画でいうところのタブロー性の高さに眼を見張ってしまった次第です。
代表者の田中伸明さんとはFB上でずいぶん前から繋がってはいましたが、ちゃんと話ができたのは初めて。独自のプロファイル作りにおいて、そうとうな深淵を獲得していることを作品とお話両面から伺い知ることができました。和紙を愛し、あるいはこれから”和紙格闘技”の世界に参戦されようとしている方々はぜひ足をお運び下さい(忖度なし!)」

ここで「独自のプロファイル作り」と書いているのが、田中氏が長年、磨き続けている"フォト・オーサリング"という写真データの適正化技術のこと。厳密にはレタッチと異なり、ここで詳しくは触れられませんが、その技術を1年かけてZoomコーチングを通して氏から学び、同時にZINEの制作など和紙との格闘を私なりに続けてきました。

そんなある日、今年の4月だったと思いますが、田中氏が私の写真に対して「どれもそこはかとない色気がある。個展ではそれをわかりやすく前に出す意味で『気配の蜜』ってタイトルはどうか」と提案してくれたのです。
いやはやさすが敏腕プロデューサー。誰が聞いてもこのタイトルはいただきですよね。
タイトルが決まると写真のセレクトも俄然軌道に乗り、同時に絵画と写真の融合路線の方向性も明確になっていったというのが事の次第です。

で、個展が終わって早々ですが、またまた面白い提案が田中氏から発信されましたので、ひとまずシェアだけさせていただきます。

個展での"こぼれ話"その5

先日の個展でご購入くださったお二方から掲載許可をいただきましたので、手前味噌ですが、この写真が生まれた経緯を少し記させていただきます。

撮影地は、中国広東省江門市に位置する開平という町。
wikiなどで「開平楼閣」の語を検索すればわかるように、華僑洋館とも呼ばれる高層楼閣のある住宅で、その稀有な歴史と世界でも類例のない姿かたちから2007年、世界遺産にも登録されました。

私がこの建物を最初に知ったのは、六本木のZen photo galleryで拝見した尾形一郎氏と尾形優氏の『中華洋楼』(2014年11月)という展示でした。
中国にこんな西洋式の、いや、正確に言えば洋式と中華式の見事なまでの折衷建築が存在していること自体、驚きで、機会があれば撮影に行きたいと思って調べていたところ、折しも2017年11月、写真家の澤村徹さんと香港のTurtleback社が共同主催したワークショプをここで開催すると知り、すぐさま申し込んだ次第です。

私は建物の撮影に際しては必ずPCレンズを持参します。垂線を正確に表現した建築写真が好きで、この時もオリンパス製ズイコー・シフト35mm F2.8を持参しました。それはまた、イタリアを代表する写真家、ルイジ・ギッリの空間表現への私なりのリスペクトでもあり、現地では何はともあれ歪みのない写真を収めてくるように努めました。

その一枚がこの縦位置の写真です。人の写っていない、色も地味な写真ゆえ、下手をすると素通りされかねない写真ですが、そんな一枚に二人の方が注目してくれたのは本当に嬉しい限り。

それも一人は一級建築士の方(宮森智志さん)で、もう一人は私が日本人の現役写真家の中で最も好きな熊谷聖司さんでした。思い返せば、熊谷さんと初めて出会ったとき、ルイジ・ギッリの話題で盛り上がったのも偶然ではないのかもしれません。

さて、そんなわけで、お二方がどんな環境に飾ってくださっているのか知りたくなり、送ってもらった2枚の写真も掲載しました。さすが建築家というべき圧倒されるほどの書棚の前が宮森さん宅。一方、直線だけのシンプル極まりない部屋(寝室らしいです)が熊谷さん宅です。
対照的な飾りつけが面白いですね。

ちなみにこの建築が生まれた背景には、アメリカ西海岸でのゴールドラッシュが深く関係しており、黒人奴隷制度の廃止後、その代わりとなった中国人労働者「苦力」(クーリー)の歴史でもあるので、機会を改めて詳細を書く予定でおります。

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